私たちの町、東金にもあの有名な平将門に由来する場所があります。
ここでは、将門ゆかりの地をご案内します。
さて、それでは将門めぐりの旅のはじまりです。 始まりは終わり 終わりは始まり
帝立山妙善寺(ていりゅうざん みょうぜんじ)
東金市御門(みかど)というところにあります。地名自体からして親皇を名乗った将門にゆかりを感じさせる地名です。
このお寺は、将門が慈母桔梗の前の菩提を弔うために、天慶元年(938年)4月、真言宗の一刹を建立し、京の都より貞観法師を迎え開基したと伝えられます。
*この地域では桔梗の前は平将門の母親と伝えられています。
稲荷神社(将門稲荷)
妙善寺から歩いて約5分ほどのところに稲荷神社(将門稲荷と呼ばれています)があります。
祭神は将門とされており、将門の軍が敗れたとき、7人の家来が将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ帰り、遺骸をまつって将門稲荷と称したと伝えられています。
厳島神社(桔梗弁天)
稲荷神社から西の方向に歩いて約5分のところに厳島神社(桔梗弁天)という神社があります。
ここは、将門の母と伝えられる桔梗の前が、乳汁が不足し困ったところ、関内(せきうち)にある水神社に祈ったところ、その後、乳汁に恵まれ無事に将門を育て上げ、土地の人が桔梗の前を弁財天の再来とあがめてまつられたものと伝えられています。
祭塚(えな塚)
厳島神社(桔梗弁天)から更に西に15分ぐらい歩くと、殿廻(とのまわり)という地区に着きます。
この地区公民館手前を右に曲がった先に、祭塚(えな塚)と呼ばれる小さな碑があります。
言い伝えでは、平将門の胞衣(えな)を埋めたところとされています。
三枚橋(産前橋)
殿廻の祭塚から北に約10分ぐらい歩いたところに、コンクリートで作られた農業用水に到達します。この水路にかかる橋が、中野の三枚橋(産前橋)です。
桔梗の前が平将門を身ごもった際、占い師に「この子は、反逆者になる」と言われ、平良将は、桔梗の前を舟に乗せ海に流したところ、九十九里浜に流れ着き、この地に着きました。そこで将門が生まれたという言い伝えです。
この時、将門母子の面倒をみた七郎兵衛という者に、のちに「布留川・ふるかわ」という姓が授けられたと伝えられています。
水神社
中野・三枚橋(産前橋)から歩いて約15分のところに関内地区の水神社があります。ここに、桔梗の前がお参りしたところ、乳の出がよくなり、将門も無事育ったことから地元では妊産婦にご利益があると伝えられています。
以上が平将門めぐりの旅でした。距離にして約3Km。それぞれの場所を見学し、ゆっくり歩いて2時間から3時間です。
将門にゆかりのある土地は全国にたくさんありますが、千葉県東金というところにも、このようなところがありますので、是非おいでいただき、のんびりと散策してみてください。